日本の製造業を CAD/CAM で支える魂は 1970年に生まれた  
     
  株式会社ジェービーエムの歴史は、代表取締役会長 佐野泰治の歴史そのものです。1970年3月 僅かな資本と3人のメンバーで創業した会社は、小さな1部屋の事務所から600坪の自社ビルとバンコク、ニューハンプシャーなどの海外や日本各地に支店を有する企業にまで発展しました。

創業当時は大型コンピュータシステムが日本に普及し始めた時代でした。ジェービーエムは小さな会社でしたが、新しい技術の将来を見抜く佐野の目は常に「コンピュータシステムの動向」を見つめていました。

当時の佐野の精力的な活動を支えてくれたのは、三菱商事㈱や丸紅㈱のようなコンピュータシステムを導入した大手企業でした。特に三菱商事㈱から10年間に亘ってコンピュータシステムのデータインプットと伝票発行業務を受注出来たことは創業間もない佐野の大きな支えになりました。
また古巣である DODWELL 社からもコンピュータ改造業務を受注し会社としての基盤作りを進めて行きました。

 
 
  工作機械工業界への架け橋を発見する  
     
  佐野がジェービーエムを創業した頃、アミューズメント業界では子供だましのコンピュータ占いが流行っていました。その占いに使われている米国フリーデン社製タイプライターは佐野が DODWELL 時代に扱っていたものでしたが、再生されたそのタイプライターが工作機械業界で利用されていることを後日知る事になります。

培った経験と新しい技術を結び付け独創的なビジネスを創造する佐野のアイデアは、中古タイプライターを NC(数値制御)用に改造して販売するという事業を生み出して行きました。売り上げは大きく伸び、オフコン販売事業にも参入しジェービーエムの事業基盤が確立されて行きました。

 
   
  業容拡大から一転して苦難に直面、そして「ファクトリー・オートメーション」への道を決める
 
     
  順調に拡大する業績を背景に凱旋気分で 1979年にはキャノン大阪支店跡に事務所を確保し業容拡大に乗り出します。順調な業績は佐野の心にも余裕をもたらし、リゾートマンションを購入したりゴルフ倶楽部の会員権購入など、本業以外への投資を行うこともありました。

しかし苦難は突然やって来ます。事務所を移転して業容を拡大した矢先、突然三菱商事㈱から6ヵ月後に委託作業を終了するとの予告が入って来ます。また順調な市場には大手が参入するという定石通り、ジェービーエムの事業領域へ大手オフコンメーカーが直接参入する事態が重なります。体力勝負では到底太刀打ちできない中を何とか切り抜けようとする佐野の努力を尻目に、更に格安で入手できた中古のフリーデンタイプライターも枯渇するという八方塞の経営状況に陥ります。

そして予告通り三菱商事㈱からの委託業務の終了を向かえます。佐野は本社以外の営業所を全て閉鎖、従業員の解雇という苦渋の選択を下すことになります。

「艱難汝を玉にす」・・同じ苦労を重ねた社員を解雇せざる得ない佐野の心中は、やりきれなさと脱力感に襲われます。しかしそうした苦難の中でも佐野の持つ「時代を見る目」「培った経験と新しい技術を結び付ける目」は自力成長できる世界を見つけます。

請負仕事では自力で生き延びることは難しいことを理解した佐野はオフィス・オートメーション事業で培った「ソフトウエア技術」を応用し「ファクトリー・オートメーション」の世界へ事業を転換する事を決意します。

 
 
  NC 工作機械周辺機器メーカーとして JBM ブランドを確立  
     
  1980年佐野は㈱山善からの誘いで国際工作機械見本市シカゴショーを見学出来る機会を得ました。英語はまったく分かりませんでしたが、目で見て足で得た見本市会場の状況がヒントとなり、後に日本で初めてとなるハンディータイプの NC 紙テープパンチャー「PS-20」と言う製品を生み出すことになります。

「お客さんが求めるものを形にする」という佐野の思考はここでも新製品開発のコンセプトとして生きています。売り出した NC 紙テープパンチャー「PS-20」は連日徹夜作業が必要になる程の好評を得て業態が一変します。

引き続いて NC 専用鑽孔タイプライター開発を手掛け、日本初の商品 NC-2400 を完成させ発売を開始します。この商品は市場で好評を博し、国内はもとより台湾、シンガポール、スエーデンにも輸出されジェービーエムは完全に NC 工作機械周辺機器メーカーとなり、シリーズで開発・販売
されるパンチャーを通して JBM ブランドが定着して行きました。

㈱森精機製作所、ヤマザキマザック㈱、大手工作機械メーカーへ OEM によるテープパンチャーやテープリーダーの納入も順調に進みました。苦難を通して「ファクトリー・オートメーション」へ進出を決めたことが、大手工作機械メーカーとの信頼関係を築いて行く道を付けたと言えるでしょう。

 
   
  好事魔多し、未来を信じて逆境から再出発  
     
  佐野は当時を振り返り油断したと回顧していますが、それよりも自由競争市場では儲かる分野には競合が参入するという事例だと捉えるべきでしょう。次々と市場に競合相手が出現し売り上げは急激に落ち込んで行きました。いつの間にか社員も減り、会社再生をかけて商品開発のアイデアを出して行きますが、如何せん開発を実行する資金がありません。

どうしようもない状況の中でも、新しい技術の将来を見抜く佐野の目は「PCソフトウエア」という未来を見ていました。近い将来必ず PC ソフトウエア全盛の時代が来ると言う閃きは確信に変わり、何としてでも会社を存続させる決意を固める充分な理由となり得たようです。

当時長兄が懇意にしていたK商会の援助を仰ぐことを決め、継続的な資金提供の折衝を続けながら、当時やっと玩具の域を脱しつつあった PC で、NC データ編集ソフトや自動プロシステムの開発に取り掛かりました。

1988年に大阪市内から東大阪市へ本社を移転し、社員が作り出してくれた当社初めてのオリジナルソフトとなる対話型自動プログラミングシステムが誕生します。新事務所への移転と新しいソフトウエアの誕生という出来事は、厳しい経営状況の続く中でも明るい未来への可能性を感じさせてくれるものとなりました。

売上高も着実に向上して行くなかで、自動プロの販売がハード売り上げを逆転するという状況になって来ました。このソフトウエアは順調に納入を続けて行きましたが、プログラム言語の限界と開発社員の数学力の限界もあり競合他社とのバージョンアップ競争に負けてしまいます。ところが、それを補って余りある C言語ベースの2次元CAD/CAM商品が密かに開発されており、これが対話型自動プロソフトの後継機として市場に受け入れられ、数年で通算 3,000本以上の納入を果たすヒット商品となります。

 
     
   
  Mastercam との出会い、そして真の独立へ  
     
  1993年春 Mastercam との関わりは突然訪れました。東大阪市のN金型製作所様からカッターの柄の部分の金型製作依頼を受けました。これは当時無名だった Mastercam が日本で生きる道が生まれた瞬間でもありました。この頃の Mastercam は計算に何時間もかかり、操作性も悪く、さすがの佐野の目を持ってしても、将来のジェービーエムの屋台骨を支える事業に成るとは予想できませんでした。

しかし技術革新は急速に進み、非常に短い周期で進化するパソコンの高速化と OS の高性能化によって、開発元の米国 CNC 社の製品改良が加速されて行きました。

1995年佐野は順調な売れ行きの Mastercam 販売と自社製2次元 CAD/CAM ソフトウエアの出荷増で売上基盤を確立し、出資者に借入金を全額返済して経営の独立性を回復します。Mastercam、自社開発ソフトウエア、経営権の回復、未来を信じて苦難を超えてきた佐野にとって、力のある製品と共に真の自由を獲得した時がついにやって来ました。

1997年6月ジェービーエムは Mastercam 開発元 CNC Software 社と直接代理店契約を締結し輸入元としての体制を整えます。
この年 Mastercam 販売で世界 3位、1999年、2000年には2位と順調に業績を伸ばし、金融機関の後押しで東大阪市本庄西の機械工具卸売団地内にビルを購入することとなります。内外装工事を施した上、桜の咲く1999年4月に国内外から多数のお客様をお迎えして創業30周年記念式典が挙行されました。

 
     
   
  Mastercam 販売世界1位から日本工作機械工業会を通しての社会貢献へ  
     
  佐野は 2002年の Mastercam 世界Top10 会議で CNC 社より初めて 2001年度世界1位表彰を受けました。合わせてこの年㈱森精機製作所・森雅彦社長様と大日金属工業㈱小山豊社長様のご推薦を得て、日本工作機械工業会に入会。ソフトウエア懇談会を立ち上げそのお世話にも力を注いでいます。2002年には同会理事就任を打診され承諾、産業界への一層の貢献に邁進しています。
 
     
   
 
  目標は「世界No.1のCAD/CAMソリューションカンパニー」  
     
  佐野の目には、世界的不況により工作機械業界の厳しい経営が続くとしても、苦難を通して未来を開いてきたその人生から、お客様の立場に立った素晴らしい商品の開発ときめ細やかなサポートを通して「世界No.1のCAD/CAMソリューションカンパニー」の姿がはっきりと映っています。

ジェービーエムの歴史は佐野の歴史そのものであり、苦難を乗り超えた数々の努力と勇気を受け継ぐ JBMファミリーは、加工現場で発生する数々の問題を解決していきます。

お客様のお役に立てる真のソリューションカンパニーを目指して次代を担う優秀な人材を育成し、JBM ファミリーが世界の「ものづくり」産業を支える。それが今の佐野の目に映っている未来です。

 
     
   

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