創業当時は大型コンピュータシステムが日本に普及し始めた時代でした。ジェービーエムは小さな会社でしたが、新しい技術の将来を見抜く佐野の目は常に「コンピュータシステムの動向」を見つめていました。
当時の佐野の精力的な活動を支えてくれたのは、三菱商事㈱や丸紅㈱のようなコンピュータシステムを導入した大手企業でした。特に三菱商事㈱から10年間に亘ってコンピュータシステムのデータインプットと伝票発行業務を受注出来たことは創業間もない佐野の大きな支えになりました。 また古巣である DODWELL 社からもコンピュータ改造業務を受注し会社としての基盤作りを進めて行きました。
しかし苦難は突然やって来ます。事務所を移転して業容を拡大した矢先、突然三菱商事㈱から6ヵ月後に委託作業を終了するとの予告が入って来ます。また順調な市場には大手が参入するという定石通り、ジェービーエムの事業領域へ大手オフコンメーカーが直接参入する事態が重なります。体力勝負では到底太刀打ちできない中を何とか切り抜けようとする佐野の努力を尻目に、更に格安で入手できた中古のフリーデンタイプライターも枯渇するという八方塞の経営状況に陥ります。
そして予告通り三菱商事㈱からの委託業務の終了を向かえます。佐野は本社以外の営業所を全て閉鎖、従業員の解雇という苦渋の選択を下すことになります。
「艱難汝を玉にす」・・同じ苦労を重ねた社員を解雇せざる得ない佐野の心中は、やりきれなさと脱力感に襲われます。しかしそうした苦難の中でも佐野の持つ「時代を見る目」「培った経験と新しい技術を結び付ける目」は自力成長できる世界を見つけます。
請負仕事では自力で生き延びることは難しいことを理解した佐野はオフィス・オートメーション事業で培った「ソフトウエア技術」を応用し「ファクトリー・オートメーション」の世界へ事業を転換する事を決意します。
「お客さんが求めるものを形にする」という佐野の思考はここでも新製品開発のコンセプトとして生きています。売り出した NC 紙テープパンチャー「PS-20」は連日徹夜作業が必要になる程の好評を得て業態が一変します。
引き続いて NC 専用鑽孔タイプライター開発を手掛け、日本初の商品 NC-2400 を完成させ発売を開始します。この商品は市場で好評を博し、国内はもとより台湾、シンガポール、スエーデンにも輸出されジェービーエムは完全に NC 工作機械周辺機器メーカーとなり、シリーズで開発・販売 されるパンチャーを通して JBM ブランドが定着して行きました。
㈱森精機製作所、ヤマザキマザック㈱、大手工作機械メーカーへ OEM によるテープパンチャーやテープリーダーの納入も順調に進みました。苦難を通して「ファクトリー・オートメーション」へ進出を決めたことが、大手工作機械メーカーとの信頼関係を築いて行く道を付けたと言えるでしょう。
どうしようもない状況の中でも、新しい技術の将来を見抜く佐野の目は「PCソフトウエア」という未来を見ていました。近い将来必ず PC ソフトウエア全盛の時代が来ると言う閃きは確信に変わり、何としてでも会社を存続させる決意を固める充分な理由となり得たようです。
当時長兄が懇意にしていたK商会の援助を仰ぐことを決め、継続的な資金提供の折衝を続けながら、当時やっと玩具の域を脱しつつあった PC で、NC データ編集ソフトや自動プロシステムの開発に取り掛かりました。
1988年に大阪市内から東大阪市へ本社を移転し、社員が作り出してくれた当社初めてのオリジナルソフトとなる対話型自動プログラミングシステムが誕生します。新事務所への移転と新しいソフトウエアの誕生という出来事は、厳しい経営状況の続く中でも明るい未来への可能性を感じさせてくれるものとなりました。
売上高も着実に向上して行くなかで、自動プロの販売がハード売り上げを逆転するという状況になって来ました。このソフトウエアは順調に納入を続けて行きましたが、プログラム言語の限界と開発社員の数学力の限界もあり競合他社とのバージョンアップ競争に負けてしまいます。ところが、それを補って余りある C言語ベースの2次元CAD/CAM商品が密かに開発されており、これが対話型自動プロソフトの後継機として市場に受け入れられ、数年で通算 3,000本以上の納入を果たすヒット商品となります。
しかし技術革新は急速に進み、非常に短い周期で進化するパソコンの高速化と OS の高性能化によって、開発元の米国 CNC 社の製品改良が加速されて行きました。
1995年佐野は順調な売れ行きの Mastercam 販売と自社製2次元 CAD/CAM ソフトウエアの出荷増で売上基盤を確立し、出資者に借入金を全額返済して経営の独立性を回復します。Mastercam、自社開発ソフトウエア、経営権の回復、未来を信じて苦難を超えてきた佐野にとって、力のある製品と共に真の自由を獲得した時がついにやって来ました。
1997年6月ジェービーエムは Mastercam 開発元 CNC Software 社と直接代理店契約を締結し輸入元としての体制を整えます。 この年 Mastercam 販売で世界 3位、1999年、2000年には2位と順調に業績を伸ばし、金融機関の後押しで東大阪市本庄西の機械工具卸売団地内にビルを購入することとなります。内外装工事を施した上、桜の咲く1999年4月に国内外から多数のお客様をお迎えして創業30周年記念式典が挙行されました。
ジェービーエムの歴史は佐野の歴史そのものであり、苦難を乗り超えた数々の努力と勇気を受け継ぐ JBMファミリーは、加工現場で発生する数々の問題を解決していきます。
お客様のお役に立てる真のソリューションカンパニーを目指して次代を担う優秀な人材を育成し、JBM ファミリーが世界の「ものづくり」産業を支える。それが今の佐野の目に映っている未来です。