幸圓(こうえん)とは戦国武将で歴代姫路城主ただ一人姫路城生まれの稀代の軍師といわれる黒田官兵衛(あと如水)の内室、つまり奥さんその人である、
名前は光(てる)としても残っているが、雅号の幸圓として本章を統一した。
7―8年ぐらい前だったろうか、市内で官兵衛をNHKの大河ドラマへの運動があった。
その時、有志が集まり具体的な話のなかで、NHKが黒田官兵衛のドラマ化に消極的なのは、官兵衛には色気が無いことが理由の一つとの意見があった。
なるほど、昨年の篤姫にしろ、先の風林火山にしろ、きらびやかな女性群を登場させ、それなりの色気はあるような感じはした。
だが、官兵衛の周りには女性が見当たらないように見えるが、本当に居なかったのだろうか?
いたいた、奥さんだ、官兵衛の色気とは、との問いに対する私なりの反論である。
幸圓、この方の事はよく判っていないとうゆうか、まったくわからないと言ったほうが良いかも知れない。が僅かな足跡は推測される。私の妄想も含め、今はお会いでき無い、その人となりを追っかけてみる。
官兵衛は今から460年前の天文15年(1546)姫路城で生まれた。
幸圓は官兵衛とは7歳違いの天文22年に生まれた。今の加古川市の志方城主櫛橋伊定の娘で、伊定は早くから官兵衛に目をつけ、結婚の1年前には官兵衛のトレードマークの赤合子形(あかごうすなり)の兜と胴丸具足を贈ったとされています。
2人は御着城主の小寺政職の媒酌で結婚しました、その時、幸圓15歳、今では高校1年生ぐらいでした。
夫婦中は良く、1年後嫡男・黒田長政が生まれます。
ノミの夫婦とされ、官兵衛は風采の上がらない小柄な男で幸圓は大柄な女性であったと推測されます。それは、僅かにのこされた幸圓の筆跡の堂々として闊達な文体から判るようです。
それと、長男の黒田長政が大きな男であったと推定されるからである。
黒田家の史料を編纂した、貝原益軒の『黒田家譜』によれば、幸圓は「容儀人にすぐれ、うるわし才徳兼備」と書かれています、いわゆる美人で賢く、家臣団からも慕たわれた女性の鏡のような人であったという。
戦国時代の女性、とりわけ武将の妻はそれぞれそれなりの苦労があったと思います。常に戦場、お互いの命のやりとりのなかで、女性たりとも、日々安寧なわけがない。
特に官兵衛である、自身の才能のために、いちいち日々の出来事を女房に相談をしながら、事を決めていたとは、到底思われない。がお互いの信頼関係は揺るがなかったのだろう。
また、官兵衛は側室を置かなかったから、秀吉や他の武将のように、多くの女性に囲まれながら、やきもちや妬みに気を使いながらの生活もなかったろう。
しかし、官兵衛ほどの男の妻である。私には官兵衛以上の才覚と官兵衛をも包み込む母親のような、大きな愛情の持ち主だったのではないかと思っている。
その幸圓の手のひらで、官兵衛は軍師とゆう、芝居を安心して演じていたのかも知れない。
その理由の一つに、官兵衛は幼くして母、明石氏を亡くしている。母親への思慕は人一倍であったと伝わる。
幸圓も野望渦巻く戦乱の世、例に洩れず相当な心痛があった。
官兵衛が荒木村重の謀反で信長に背いた事に説得に出向き、そのまま土牢に約1年間囚われた時期です。その時は長男の松寿丸(長政)が信長の人質として、信長は官兵衛の裏切りと思い、松寿丸の殺害を命じます。官兵衛や長男の生死も判らない黒田家の危機的状況を幸圓は父職隆や家臣団とどの様に乗り切ったのだろう。
秀吉が朝鮮に侵攻した文禄の役の時に官兵衛が石田三成のざん訴にあい秀吉に切腹を命ぜられた時や、次男の熊之助が官兵衛に無断で朝鮮に渡ろうとして、海難事故で死亡した時でした、熊之助は長政と14歳も違う久し振りの子供で幸圓の悲しみも如何ばかりかと推察します。
関ケ原の戦いの前、大坂の町は石田・徳川方とで騒然としていました。その頃、幸圓と長政の妻・ねね姫が大坂天満屋敷に居ました。石田方は徳川方の人質を狙い、徳川陣営の女子を捕えようとしていました。幸圓とねね姫は木箱に詰められて、天満屋敷から安治川を渡り母里太兵衛や栗山利安らよって助けられて、中津城まで命からがら海路脱出します。
その日は細川ガラシャ夫人が大坂・玉造りの屋敷に火を放ち、家臣に自の胸を突かせて死んだ日でもあります。
官兵衛は59歳で亡くなりましたが、幸圓は官兵衛の死後23年生き75歳で亡くなっています。息子の長政より長生きしました。
天下取りの夢が破れた官兵衛は福岡城内で幸圓と侘び住まいをはじめる。
この頃が幸圓の一番幸せな時期であったのだろう。
作家の小石房子さんは、幸圓の事を「私もずいぶんいろいろな女性を調べて書いてきましたけれども、幸圓ほどの幸せな戦国婦人は他におりません」と言っています。
この播磨の地で天下を狙っていた男がいた。それも今でいう、御着の小寺とゆう中小企業の専務クラスの人物が新興大企業の織田信長の重役・秀吉と組んで、天下取りの大芝居をやる。
晩年には九州の地から自らが天下を目指す。
官兵衛には、播磨灘物語(播磨)・・周防灘物語(中津)・・玄海灘物語(福岡)があります。
これほど男として本懐なことがあるだろうか。これは大河ドラマである。
3年前の夏、NHKの大河を目的の一つとして、官兵衛フアンの集い、播磨の黒田武士顕彰会を仲間と立ち上げた、その第一弾として、姫路お城まつりに『黒田武士里帰りパレード』を実施した。
官兵衛役には黒田宗家の16代黒田長高公にお願いしました、一昨年からは大河ドラマを意識して、妻・幸圓を馬上で登場願った。人選には『容儀人にすぐれ、うるわし、才徳兼備』の乗馬経験者の女性を口説き落とした。
また、昨年からは長政の弟、熊之助も登場した。
これでNHKもわれわれの意を汲んでくれるのではないかと密に思っている。
昨年の9月には福岡市博『黒田長政と24騎展』で幸圓の画像が初めて公開された。
また、これからも私の幸圓探しは続く・・・・・。
世の中は男と女しかいない。色気のない人生ドラマなど無いと思うが。NHKさん。
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